振り返ること。

時々、前の職場であったトラブルや、誰かに迷惑を掛けたこと、上手くいかなかったことを思い出す。今更悔やんでも仕方ないこともあるけれど、どっかで心に棘のようなものが引っかかり続けているような感覚。

 

過去に戻ってそれを乗り越えることは出来ない。

 

出来ることがあるとするなら、これからの人生で、反省を活かすこと。まぁ反省したところで同じ人が生きる人生なので、同じ過ちを繰り返すかもしれない。そしたらまた反省すればいい。2度と繰り返すな!!と言う人だって、同じ過ちを犯しているかもしれない。

 

自転車に乗ったり、ジョギングをしたり、運動をしている時間が良い癒しになっている。できなかったことが少しずつでも出来るようになっていく感覚が愛おしい。

毎日…

最近、毎日がしんどい。今日は1日誰とも話さずに過ごしてしまった。面白くて笑ったり、悲しくて泣いたり、という感情の起伏も無い。日々淡々と過ごして寝て、また起きて1日が始まる。本当に1日が始まるのかな、と思うこともある。

 

殆ど買い物をしないとはいえ、食品などの値上がりが少しずつ家計を圧迫している。ずっと好きだったお菓子も値上がり、容量減。楽しみが奪われていくようでつらい。もちろん、収入が増えるわけではない。海外でも値上がりが凄いと言うが、その分人件費=給料が上がっているという側面もある。日本がどんどん小さくなっていっている気がする。政府はどうにもできないんだろうな。かといって、自衛でどうにかできるレベルを超えている。本当に、しんどい。

 

しんどいなぁ…

 

遠い道のり。

抑鬱状態で仕事を休職して3カ月が経つ。気分の落ち込みは、仕事してた頃に比べたら格段に良くなっている…というか、仕事が抑鬱状態の原因なのだから、そこから離れたらそりゃあ良くなるだろうとは思うんだけれど、事は簡単には進まない。

今通っている病院は、「安易に診断書を出す」みたいなレビューを書かれていて、最初はちょっと不安だったけれど、他の病院は数か月待ちの中、なんとか時間をとって診てくれただけでも、私にとっては救いの場所だ。確かに、具体的にどうしろとかいう話はあんまりなくて、薬の処方と簡単なカウンセリングだけではあるけれど、それで休む時間を与えてもらえるんならありがたいことだと思う。他の病院だとどんな診察になるんだろう。

休んでいる間、たくさんの本を読んだ。どちらかといえば、社会や心理について、そしてもちろん鬱や精神的なことについての本もよく読んだ。鬱っぽくなった直後は、自分と同じような症例の話を読んだだけで手が震えて視界が暗くなるほどだったけど、最近は「私と同じように苦労している人も居るんだなぁ」くらいの気持ちで読めるようになった。これが改善のしるしなのかどうかは、分からない。

 

精神科や心療内科はどこも予約待ちの状態で、苦しい境遇に耐えながら働いたり生活したりしている人がとても多いんだろうと思う。それでも、まず自分の命を大事にすること。自分自身の人生を、一番に思うこと。誰かの苦しみは、その人自身のものであると割り切ることも、時には大事だと思う。痛みを分かち合うことはできるかもしれないけど、痛みを肩代わりすることはできないんだから。

 

悶々としているうちにまたひとつ歳を重ねた。時々、情けなくてつらい気持ちになる。それでも、生きていることが第一にラッキーなのだ。忘れないでいよう。

草刈りと、ラジコン購入。

河川敷の草刈り、毎年繰り返していることだから少しずつ効率が良くなっている気がする。草の生え方、種類による刈り方…まぁ、仕事として草刈りをしている人にはとても敵わないけど、自分なりに工夫し、限られた時間の中でどう進めるかを考えて動くのが楽しい。

天気が良い日が続けば、草は際限なく伸びる。毎年のことだけど植物の力強さに圧倒される。それに比べると人間は、というか私は、ほんと弱いなぁ。

 

迷いに迷ったラジコンは結局、タミヤのネオ・スコーチャーを買った。いわゆるバギータイプ。購入の決め手は、廉価版なのにオイルダンパーが付いているという打算的な視点…この記事を書いている時点ではまだ走行できてないけれど、ボディを好きな色に塗装して、組み上げた時点でだいぶ気に入っているから、きっと走りも気に入るだろう。

 

ラジコンと言えば、とにかく走らせる場所が無い…本当にそうだろうか?視点が変わると、見えるものが変わる。ラジコンを走らせることが出来る場所が無いか?と思って見渡してみると、案外、誰も使ってないような公園や、河川敷の空き地が目につくようになる。まぁ公園については時々、ラジコン禁止!って看板があったり、住宅が近くて騒音に気をつかう必要がある場合もあるけれど、管理されても使う人がいない場所が結構多かったりする。本当にもったいない。だったらどんどん使ったらいいと思う。

とはいえ、規則の抜け道をついて遊ぶのも後ろめたいので、河川敷の草刈りついでに自分用の広場を作った。歩きか自転車でしか行けない場所。今の季節なら、秋晴れの空をひとり占めできるちょっとしたスペース。キャンプしてもいいし、ラジコン走らせてもいいし、特に目的も無くぼーーっとしてもいい。むしろ、それがいい。誰にも邪魔されないような場所が(自宅以外で)あるのはとても大事なこと。

ちいさなタープ張って、インスタントコーヒー淹れて、本でも読もう。

夏の終わり?

お盆を過ぎると、世の中すべてが夏の終わりモードになるの、何なんだろう。まだ夏は続いているし、暑いのは変わらないままだし。天気予報でも盛んに「残暑が厳しい」と連呼している。暑いのは言われなくても、肌感覚でわかる。この夏も結局、エアコンを使わずに過ごしてしまった。「しまった」と言ってしまうぐらい、エアコンを使わない日常が当たり前になっている。ただ、寝苦しい夜だとかブログを書く時は扇風機を使ったから、まったく文明の利器を使っていないわけではない。

図書館で、電気料金を5アンペア契約で過ごした記者の本を読んだけれど、まぁ別にそこまで意気込んで電気を使わないとかそういう暮らしをするつもりも無く、ただ自然に、というより両親に躾けられたように、無駄を出さない生活が当たり前になっている。窓を開け放てば風が通り、日当たりのよい部屋に住めば暖かい。住む場所を選べる限り、快適な暮らしはいくらでも追及できる。

 

安い暮らしに慣れると、思考がどんどん貧乏に染まっていく。本当に良くない。

欲しい物を買えるだけの蓄えがあるなら、考えた上で、都度買うべきだと思った。欲しかったものが売り切れになり、安さで選んだ中古品がすぐダメになるとそれなりに凹むし、凹んだのを元に戻す労力を考えたらちゃんと新品を買った方が手っ取り早いし、欲しい!と思った時点で買い物カートに入れたほうが何より心がすっきりする。ここ数日で、物にまつわる精神的アップダウンがほんとしんどかった。

中古で買った刈払機は店に返品して新品を買い直した。ぐるぐる迷っているラジコンはそのまま保留にしている。ある意味、迷っている時間が楽しかったりする。あれもいいなー、これも捨てがたいよなー、っていう時間が自分にとってエンターテイメント的でもある。今はあんまりしないけど、CD屋に行って「今日買おうか、どうしようか」って迷っているドキドキ感を久しぶりに思い出した。

 

ヘッドフォンで音楽聴いてたら夕立ちに気付くのが遅れて、洗濯物が台無しになった。こういう夕立も、夏の終わりの象徴みたいに言われてしまうのかな。

はじめての書き込み。

ふと思い立ち、ブログを始めることにした。日記ならノートに書き残せばよいのだけど、ある程度世の中に開いていることで、客観的に物事を考えたり、文章を推敲したり、頭の体操のようなもの…が出来れば、と思っている。

 

仕事中に精神が不安定になり、6月20日から仕事を休ませてもらい、1ヶ月半が経った。心を治すにはとにかく休むことだ、と言われて休んでいるけど、どう休んだらいいのか最初は分からなくて、休んでいることが重荷になったりして辛い日々もあった。今は少しずつ、仕事を休んでいても良いんだと思えるようになってきた。治療がうまくいく一番のポイントは、仕事を休む事に罪悪感を感じなくなれるかどうかだと思う。

毎日だいたい同じ時間に起き、運動をしたり、読書をしたり、買い物に出掛けたりして、ご飯をちゃんと食べて、そして寝る。時々、今の暮らしの生産性の無さに落ち込むこともあるけど、今は生産的なことが出来ないんだから仕方がない。「心が疲労骨折している」という表現がしっくりくる。骨が折れてる人に、無理をさせちゃいけない。でも、いわゆるメンタルが強い人にはその考えが通じないこともある。

 

あんまりぐるぐる考えるとまた調子が落ち込むので、今日はこれくらいに。

記述に掛ける時間は30分くらいがちょうどよさそうだ。

 

それでは、また。